プロフィール
profile
少年時代
1977年10月17日に三人兄弟の長男として生まれ、学生時代は、観光と水産業の街、函館市で過ごしました。
高校生の頃は、大学進学に向け勉強をしていましたが、家の経済状況などを考慮し、高校卒業後は就職し、社会に出ることを選びました。
阪神・淡路大震災での自衛隊の災害派遣活動を見て自衛官に憧れていたこと、全国色々なところへ行ってみたかったことなどを理由に、自衛隊へ入隊しました。
自衛隊(曹士)時代
20代前半は、防空ミサイルの操作・整備を担当。米国9.11テロが発生したときの緊張感は忘れられません。
体力に全く自信のない状態で入隊したのですが、徐々に持続走で力を発揮できるようになり、富士登山駅伝の選手に選抜され、走って富士山に登るという貴重な経験をさせていただきました。(力及ばずレース本番は補欠でしたが💦)
20代後半は、幹部自衛官を目指し、勉強し、体を鍛えました。先輩、同僚の助けにより選抜試験に合格。幹部候補生学校での教育・訓練は人生の大きな糧となっています。
自衛隊(幹部)時代
幹部自衛官としては、安全保障環境の変化を肌で
感じながらの勤務となりました。
国産の防空ミサイル(中SAM)の開発・戦力化、沖縄県における北朝鮮弾道ミサイル対処、尖閣諸島周辺での中国公船対応、宮古島・石垣島への自衛隊駐屯地の配置など。
また激甚化・頻発化する自然災害などへの対応も実施してきました。沖縄県での台風対応、緊急患者空輸。東日本大震災(宮城県南三陸町)、令和元年東日本台風(千葉県全域)に伴う災害派遣に従事
40代となり、千葉県において中隊長として中隊の指揮を執らせていただき、その後、東京市ヶ谷において自衛官の募集などを担当しました。
44歳、定年退職まで約10年を残し、悩みに悩んだ上で、諸事情により自衛隊を退職し、家族の暮らす相模原市で家族とともに生きていく決心をしました。
微力ながら予備自衛官として国防に関わるとともに、神奈川県隊友会県北支部理事、神奈川県自衛隊家族会相模原・座間地区会理事、神奈川県防衛協会青年部会員として自衛隊の活動をサポートしています。
政治家として
地域のために貢献できる仕事、自衛官の経験を活かすことのできる仕事として、政治家を目指すことを決めました。
令和4年12月、日本維新の会の党員となり政治活動を開始
令和5年相模原市議会議員選挙に出馬し、3,684票をいただき初当選いたしました。
市民環境経済委員、防災・減災の推進に関する特別委員、大山丹沢山系鳥獣等問題市町村議員連絡協議会理事、相模原市防衛議員連盟など務めています。
家族や趣味など
家族は、相模原出身の妻、長男(高2)、長女(中3)と沖縄県で譲り受けた保護犬のペコとパズ、保護猫の寅子、4人と3匹家族です。
幼少期に野良犬に追い掛け回されて以来、動物が苦手だったのですが、妻が熱心に犬猫の保護ボランティアをしていた影響を受け、今は楽しく共に過ごしています。
趣味は、子供の頃から釣りや潮干狩りなどアウトドアが好きで、自衛隊に入り、関東や沖縄など7回の引越を経験しましたが、その場所、その場所にある魅力的なアウトドアを楽しんできました。登山、山菜採り、キャンプ、釣り、潮干狩りなど。
妻と知り合ったのも関東勤務時代に馬に乗ってみたいと訪れた中央区の相模原乗馬クラブで一緒になったことがきっかけでした。
今は書道に取り組んでいます。